苦手な事の未来

大人LD comments(0) - U-I

※読みにくい文章になってしまった。
想いを書くことは出来ても、自分が書いた文章をすらすら読むことは出来ない自分(笑)
読みやすく直すにはあまりにも長くなったので、読みにくいけどこのまま掲載。



Y君を見てると、あー私と同じかも、とか、今きっとこんな感じなんだろうな、と思うことが多い。

検査の結果としても苦手な所が同じみたいだといわれたから、わたしが感じていたことはあながち間違ってはいないのかも。




とはいっても、どこまで同じでどこからは違うのかはわからない。


子供はこうやって伝えることが出来ないし。




ということで、あくまでも自分の経験や感じたことを書いていけたらと。







私は0歳の頃からの記憶が結構残ってる。
出来事よりは、光景や感情の記憶が多いけど。





Y君は、物事を理解するのに時間がかかります。

それはこの先少し出来るようになるのかもしれないけど、それでも、これが苦手だとどんなことに困ったりするのか。




理解するのに時間がかかるというのは、耳で言葉だけを聞いて内容を把握することが難しいということ。

なんとなく話してることは耳に入ってくるのだけど、
頭が働かないような感覚で、話についていけない。
集中してれば最初の方だけは聞けるかもしれないけど、そんな何でもないことに集中してれば疲れるのは早いわけで、途中からパッとわからなくなってしまったりする。

自分の感じたことが頭の中をめぐると、それだけで、聞いてたはずの内容が飛んでしまう事もある。
話の中で、わからない内容や単語が出てきた瞬間、そこで止まってしまい、その先の話についていけなくなる。

これがつまり、メモが取れないとかにも繋がる。
ひとつの事しかできないから、メモとろうとすればわからな漢字でひっかかって結局話もわからなくなるし、ノートをとるのに黒板に集中してれば授業内容は聞けない。
授業内容を聞いててもわからないところが出てきたり、それが多すぎると内容が一本の線に繋がらなくなってしまう。




特に社会なんかは、歴史だと一本の線に繋がってる内容になるけど、年号などの数字も出てくるし、よくわからない言葉に、苦手な人名まで出てきて、ちんぷんかんぷんになってしまう。

基本的に長い言葉や人名は、ハッキリとした違いを感じることが出来ない。


よくわかりやすく言われるのは、右と左の区別がつかないとか。


なんの支援無しに育った私が今どうしてるかというと、右と左は、[頭の中で、箸を持つ手、お茶碗を持つ手をイメージして]から何かに取り組む。
なれれば一瞬でイメージ出来るけど、とっさに言われたりすると焦ってイメージ出来ず、間違った方向に(笑)



話が理解出来てるかどうかというのも、長年の経験で知ってる単語だけは増えてくるので、話の流れと相手の口調、単語からイメージ出来るものから、相手の言いたい事を推測するような形で聞いてることになる。


ぱっとイメージ出来るものと出来ないものがある。
私の場合は、人の名前からその人物、近所から世界に渡る地名ほとんど、数字、その他お店の名前からなどいろいろ。

スーパーでいえば、サンワとマルエツは、私からしたら同じもので、[どっちでもいいよね]という感覚で居たし、スーパーに限らず自分にとって区別出来ず同じくくりで考えてたものは、実際そのような発言をよくしていた。
けど、普通の人からすると、全然違うんだと言うことを知ったのは、20代過ぎてから。


自分の感覚や認知に疑問を持たないから、周りの人も同じ感覚だと思っていた。



幼稚園に入ってまず、少しずつ気付いてくる。

あれ、みんなテキパキ動いてるな、遅れをとらないようにしなきゃ。

あれ、みんなすぐに何するかわかってるな、私何したらいいんだろ

あれ、みんな楽しそうにしているな、何が楽しいんだろう



なんとなく、少しずつ、自信を無くしたり不安になったり、必死になっていく過程。

とくに楽しそうにしているなってところは、自分が気づけてなかった間に、皆はそこに楽しさまで見つけ出してる。
「言われたことをする」事にいっぱいいっぱいな間に…。

これって、取り残され感結構出てくる。



Y君は今のところ、わかってなくても周りが楽しそうなら自分も楽しい!みたいな所があるけど、この先どう感じていくのだろうか。



支援の手があれば、わかりやすく説明してもらって、ちゃんとみんなと同じ土俵で楽しむ事が出来るのだろうか。




Y君の月齢だと、もうわりと数字を順番に唱えたり出来るとか、歌を一曲、ほぼ正確に歌える。

実際の発達具合を見ると、数字は好きだけど、どの数字がどれなのかという違いがイマイチ入ってこないのと、
歌は好きだけど印象に残った部分しか覚えていないので、細切れのをくっつけて歌ってる感じ。
長い言葉は、一言ずつ繰り返させれば言えるのに、一つの単語として繋げて言うと全くちがう言葉になる。
[いただきます→あばちゅ]


その感覚も、よくわかる。
何となく、しか覚えられない。
ただ単に聞き流してるのかと自分でも思って、怠け者なんだなと思ったこともあったけど、聞き流してるのではなく、聞き流れちゃう、みたいな(笑)


いずれ、もっとキャパが広がって、何度も聞けばある程度わかるようにはなるけど、
やっぱり能力には限界があって、そこから先はいつもうる覚えだから自信を持てない事が多い。


手遊びにリズム体操、リトミックには参加したがらないし、家で動画を見せても反応は薄い。

テレビを見てて、気分が乗れば合わせて体を動かして愉しそうにしてるけど。



同じように体を動かすっていうのは私も苦手で、「同じように」が出来ない。
どの体の部位を、どう動かせばいいのか?
相手の動きを見ながら学ぶということが出来ない。
目で見てる事と、自分を重ね合わせる事が出来ない。


そんな、よくわからないことを、何で皆は楽しそうにやってるんだろう。



みんなと感覚が違うからなんだけどね。

でも、見るという事は、「聞く」苦手を補うのに大切。



ラジオ体操で、体を大きく前に倒すような動きがあると思う。

この時点で、周りの人の動きを見る事も出来なくなる。
これは不安だ。カンニングの要領で周りの動きを見なきゃ。

これは例えのひとつだけど、

耳で理解できない事は自然と、周りの人の動きでなんとなく混じり、何となく予測をたてながら動く。



周りの人に質問したって、その答えで理解出来るとは限らない。



この孤独に日々向き合わなければならない生活は、それなりのストレスがかかると思う。



自分が経験し、少しずつ自分でも気づかないくらいの小さな不安を持つ毎日になったことや、自分に自信が持てなくなっていく過程を体感していたから、
同じ事にはさせたくないという思いが強い。




私の場合は、聞いても理解できなかった時点で聞くのを諦めた事
わからないことをわかるふりをしてごまかし続けてきた事
自信が持てず自分の気持ちを自分の中に閉じ込めた事

これが良くなかったと思う



こうなるかもしれない未来を予測して、
Y君も記憶の引き出し方が上手くないので喋るのも上手に言葉を操れないみたいだけど、とにかく気持ちを言葉して相手に伝える事とか、段階的に身に付けられるようにしながら考えている。







記憶の引き出し

文章の中で、一番最初に[僕]と書こうとして、漢字が思い出せず平仮名で書く。
二行目、なぜかスッと僕と漢字で書ける。
三行目、忘れてしまったので二行目に書いた字を見ながら書く、もしくはまた平仮名に戻る、
四行目、雰囲気だけ思い出せるのに、間違えて書いたり惜しいところまでしか書けない。






これは例えだけど、そんなことがしょっちゅうある。
これは小学生ならありがちかもしれないけど、私は今もコレなのだ。

ひらがな→ひらがナ
と書いてしまうこともしょっちゅう。




学生生活なんかだと、そういう間違えを笑われたりばかにされても、まぁわりと笑ってボケキャラで過ごせたりするけど、仕事となるとミスを避けるために過集中になって疲れが酷く出る。

それ以外の苦手もすべて背負っての仕事は
無理をすれば、精神的な病にも陥る。






これから療育を受けながら、人の助けと本人の努力で、どこまで私とは違う未来になるのかが、楽しみでもあり、………。





現段階で、
叫ぶだけではなくこれがイヤだと自分の気持ちが言えるようになってきた事や、こちらもちゃんと聞いてあげて無理強いせず受け止めてあげれるようになってきて、ちょっとY君落ち着いた気がする。


どんなことが嫌なのかも少しずつ理解出来始めてきた。
感覚過敏も。
そこまで酷くないので気付かなかったけど、手洗いやお風呂での[泡]も、あまり得意ではないようで。
イヤな気持ちより、遊びのような雰囲気で楽しい気持ちが優先れる、パパとのお風呂なら、大丈夫な時もあるみたい…?

障害云々に限らず、ちゃんと意志疎通コミュニケーション取りながら、声を聞いていきたい。。






 

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