学習障害

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幼少の頃からずっと、どこか周りとは違うというのは感じていたけどそれが何かはわからないままだった。
どうやら私はバカならしい、ともわかっていたけど、漠然としたまま生きてきた。



働いても苦手な所にぶちあたるとどうにも理解が出来ず、結局場所を点々とすることになっていたし、もっと上を目指せと期待を持たれても無理だと断り続けたこともあった。

中途半端だな、何をやっても、と思っていた。




やっと気付いたのは学習障害の存在で、WAISというテストを受けた。
平均が100ならしいけど、私は全体検査IQが83。
中の下。
得意な所と不得意な所の差が激しくてバランスがとても悪く、普通の人の得意不得意を大きく越えた結果であると説明された。
このテストの点数だけではわからない事は多いけど。


得意と不得意を足せば普通になる、とはいかないらしく、私のバランスだと日常生活でも困難が生じてしまうということだ。


周りの人に苦手な所を話してあらかじめ理解してもらい協力や分担を頼まないといけないと言われる。





学習障害は、読む、書く、計算する、などのどれかが出来ないのけど、私はどれも不得意、特に計算とかは、手を使わないと足し算も出来やしない。
理解能力も低く少しでも複雑だとぱっぱらぱー。


学校じゃなきゃ問題なく生活出来るのであればいいのだけど、残念ながら生きてるだけで周りは学習に関するものばっかりで溢れてる。


文章は、飛ばし読み、途中から所々読んでだんだん始めに戻って読む、読んでるつもりで内容が理解していない、一行を繰り返しよんでもわからない、とかがある。

書くのは、ただ文章を書くことはわりと得意と感じているけど、
字は雰囲気で書いてるのでカタカナと平仮名が混ざる、存在しない漢字を書く、一行前は書けた漢字が次には書けないでひらがなで書くとかその逆もある。
書いてみないと似てる漢字はどっちかわからない(牛と午とか)

英単語は見た目で覚えてるので、歯抜け解答をする。文法はもちろん全くわからん。




数字は存在そのものがあやふや。
数を数えるとかはわかるけど、何キロとか、何メートルとか、およその漠然としたサイズすらどれほどのものか理解できてない。




また、二つの事を同時にすることが出来なくて、聞きながら書く事とかも出来ない。
ノートやメモを取ってると、書くことにいっぱいになったり字がわからないところになると話はまったくわからないまま進んでしまって。

だから基本的には学校の授業は、聞けばノートが書けず、書けば授業は聞いてない状態だった。


国語で一人一人段落毎に読む時になると、皆が読んでる場所を指で一生懸命追わないと見失って自分の時に「聞いてませんでした」「わかりません」となるばかり。


一生懸命指でおっていてもだいたい見失って、そうなると今誰かが読んでる所を見つけ出せず焦った。
知らぬ間に皆が違うページに進んでいるのもよくある話。


私の頭的に難しい事は、どんなにかみ砕いて丁寧に何度も教えてもらっても理解不能。

理解出来ないと、何でわかんないの!と怒られることもあるし、逆に「これくらいわかるでしょ?」と教えても貰えないことも多い。




ピアノは4歳くらいから10年近く習っていたし、学校では伴奏もよくしていた。
でも、私は楽譜が読めなかった。
楽譜が読めてないと自分でも気付かなかった(笑)
子供の頃は音符に色をぬっていたからわかったけど、小学校高学年で色を塗るのは止めなさいと先生に言われてから、途端にわけわかんない事になっていった。

中学の吹奏楽部でもそう、綺麗な音を出す事は可能でも、初見で合奏になれば音一つすら出せずお地蔵さま状態で居心地が悪かった。


リズムのみならわかるみたいだから、和太鼓とか、マーチングでベースになったのはよかったみたい。


楽譜が読めないのに伴奏とかが出来たのは、一つ一つの音をドから数えて読みながら、何度も練習し、手と体が場所で覚えてくれたからだった。
楽譜がなくてもどこでもいつでも弾くことが出来た。


体感しないと出来ないってことで、上京してからギター習ったけど、コードは覚える努力しても覚えられない。
曲毎に場所で覚える事しか出来ないから、次の曲で同じコードが出てきても私にとっては<初めて見るコード(記号)>か<みたことあるコード>に見えた。



先生に、場所で覚えてるでしょ!と言われてその時初めて自分でも、場所で覚えてるのかぁとわかったくらい、自分の事がわかっていなかった。


学校では不真面目で通すか、テスト勉強は一時的な丸暗記法でやっていたから、頭のなかにはなんにも入ってない。
空っぽなのが不安で仕方がなかった。

太陽がどちらから昇るか?わからない。
右と左?いちいち頭のなかで箸を持つ手を想像しないとわからない。


検査のレポートにも、『日常生活を送る上での理解や知識はあるものの、学校で学ぶような事柄についての知識や理解は劣る。言葉で考えたり、算数の問題を行ったり、学校で習うような知識を見る言語性検査よりは実際に何か作業を行ったり、絵を見て答えていくという動作性検査の方が得意』
とありました。

『単純作業を行う能力は優れているのに対して、少し複雑になったり難しくなったりするとわからなくなってしまうことが起きるようです。』

その通りで、効率を考えながらひたすら何かをすることは出来るんですが、問題の応用は出来ないし、仕事で言えばすみだしするとか納品するとか、そういうのわけわかめ( ̄▽ ̄;)

その場の対応をしながら進めていくことも出来る。



書類とか、どこに何を書けばいいのか、内容、名前を書くのすらドキドキしながら目の前の紙をじっくり見て確認しなければわからない。


人の話を聞けば、わからない所があったらその先は真っ白だし、土地柄の内容も全く。


他にも、頭の中で考え事しててもどんどん消えていくので永遠と同じことを考えてしまっていたり、視覚過敏で見るのが眩しく苦手だったり、3D?のように奥行き感が変に見えてチカチカしたり…


家では、買い物も、書類書きも、金銭管理もみんな旦那がやってくれる。

一人での買い物なら、店にある全ての棚を全部見て時間をかける。


上に書いてあるじゃんって、友達に言われたけど、
文字を見ても、自分の欲しいものがどの部類に入るのか当てはめたりするのが出来ない。

見て、内容を理解して、自分の欲してるものが当てはまるところを探して、という頭の使う作業よりは、実際に足で出向いて現物見て探す方が疲れない。



文章でこう書けばどれだけでも語れるものの、実際に言葉に気持ちを変換するのが難しいので全く何も話せない。

話していて、意味の間違った言葉を使ってないか、そういうのも、なんとなく雰囲気でしか生きられなかったので自信を持って話せなかったりしてね。




生活する上でブログも日記も手帳も育児記録も細かく書くのは、常に思い出せる所に記憶を置いておく為。
自分のなかでこれはまだ必要な情報かも知れないと思っていれば、しばらくは、少しだけ人との会話で円滑に内容を進めることが出来る。



なにもしてなかった時、何も理解出来てなかった時はたぶん、雰囲気でしか話せない私を「適当なヤツ」と思われてただろうなって。



23歳に結婚してから働いていなかった。

今は自分の特色がわかってきてるから、子育てが終わる頃になったら仕事内容を選んで働くことになるかもしれない。

伝票整理も会計も納品もすみ出しもない、単純作業?清掃の仕事とか?
悲しいけれど…。



今は、バンドをまた始めたけど。
歌いながら自分の音をきこうとすればその代わり別の何かを捨てる事になる。

歌詞を聞けばメロが聞こえなくなるように。

感情を入れようとすれば目を閉じなければいけないように。

ライブで会場の人を見ながら、次は何を言おうかななんて別の事を一瞬でも考えたら、水の中に入ったかのように音が聴こえなくなる。
音が聴こえなければ、音痴な歌しか歌えない。


そんな危うい私だけど、やっぱり音楽はやってみようと思った。
今ならうまくやっていけるんじゃないかと思った。





苦手なことは疲れるので周りに理解してもらい分担し、得意なことをしてくださいとは言われた。


どこまで話すか、なんて話すか、どこまで理解を求めるか、
結構悩んだけど、まずは自分が受け止めて、出来ない事は、出来ないって言える勇気を持つ事から。
なんてね。


もっと若いうちに判明していれば何か変わったのかな、なんて考えない。




最近は、大変だけど、自分の足で生きてるなって思う。
不安で自信の無かった誤魔化しと嘘だらけの自分では、もう無いはず。
 

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