バランス感覚

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動物園に久々に行って楽しんできました。







前からY君のバランス感覚について感じていた事があります。


ジャンプが好きでトランポリンなどをするわりに、数回飛んだら転んでしまうし、前に後ろに動きすぎて、まっすぐ上に飛べない。



平均台は歩けない。

まだ小さいからだと思っていたら、ほぼほぼこのくらいの子は出来るみたいですね。





実は私もバランス感覚はひどく悪いし、まっすぐ歩けないとバカにされた経験もある、平均台とかも苦手。

それが遺伝したんだなぁと思っていましたが、どうも私もY君もですが、
こういった「平衡感覚の能力の低さ」は発達障害が関係していたようです。





発達障害の子供の特徴としてバランス感覚能力が低いというのがあって、
身体の軸が安定しないのでイメージ通りに身体が動かせなかったりするというのです。


私もイメージ通り体を動かせないし、ちゃんとイメージ通り動いてるのかいまいちわからないし、
Y君がリズム体操を極度に嫌がるのもこれなのかもしれないと思いました。


もう一つ大きな特徴として、周囲に合わせる事ができずサッカーやバスケットボール等のグループ競技に 参加できないと言うのがあります。




これもやはり私もずっと悩んで生きていました。

こういったことを人に話しても、人には誰だって苦手なところがある、という程度で受け取られる事しかなかったのですが、発達障害という事実がわかってからというもの、
私の悩みのすべてがここに詰まっていた、と言っても過言ではありません。




因みに背骨が歪んでいて、中学か高校くらいの時に病院の先生に驚かれた事がありますが、やはり背骨の歪みも、そういうことならしいですね。








→発達ナビ←


こちらにだいたい為になることが書かれていたのでリンク貼らせていただきます。




■感覚回避
刺激に対する過剰な反応があるため、刺激のある環境を回避する行動をとることです





平衡感覚

■動きの刺激を過剰に好んだり、過剰に怖がったりする
平衡感覚とは体のバランスをとるときに働く感覚で、主に姿勢のコントロールや体のバランスを保つことに関わっています。

平衡感覚が鈍い場合には、体の揺れや傾きを自身で調節することが難しく、その結果、刺激を求める探求行動があります。例えば、刺激を求めて頭を振りながら走ったり、ぐるぐる回ったり、席を立ったりすることや、まわる遊具やブランコなどが大好きで離れようとしなかったりします。

逆に、平衡感覚が敏感な場合には、動きの刺激に対して恐怖心や不安を持ちます。例えば、ブランコや高い場所に行くことを嫌がったり、頭を傾けたり体が傾いたりするのを嫌がったりします。




こんなことも書かれていました。



Y君は、体を動かすこと自体は好きで、その場でよくぐるぐる回るし、ジャンプ何て最近ではしょっちゅうしていますが、
ブランコなどの遊具はどうしても乗れません。


そういった感覚的な部分で、怖いとか感じているようですね。



感覚過敏で、それらを回避しようとする姿もしょっちゅうです。
とにかく、彼にとって嫌なことがとても多いのだと日頃から感じていました。



ママの足の上に乗ってカニカニ〜と遊ぶのもまだ嫌です。
パパの上でお馬さんごっこは、ずっと嫌がってたけど最近では乗ってくれてるようですね!
すぐに落ちてしまうというか、上手く乗れてるかは微妙そうですが。


成長と共に緩和されていくそうですし、感覚過敏については強要することは逆効果らしいので気を付けたいですね。




保育園で、裸足で砂場で遊ぼうと誘っても常にダッコ状態で、
様子見しても降りたがらず、靴を持ってきたら、待ってましたという感じで遊び始めたようです。



砂場では遊びますが砂は触りません。
スコップやおもちゃごしにしか触らないで上手に遊んでます(笑)







私は視覚過敏がありますが、Y君はどうなんでしょうね☆




療育まであと1ヶ月。


こういうのを見ていると、自分も受けたくなりますよ。
自分が子供の頃からわかっていて、そういった施設が整っていたらな〜とかも思います。

LDの塾とか、発達障害の子の為のスポーツクラブとか。





今私は個人的に、自分の能力の低さのせいで幼稚園に行きたくない気持ちが大きくなっています。


でも克服しなきゃいけなくて、そのためには自分の事を話さなければならないのかもしれない。
信頼関係もなく、なれない環境と人達の中で、
自分から聞く勇気をもっと持たないといけないのかもしれない。
それがまだ、今は恐い((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルです。
でもイカナイという選択肢、子供にはあったとしても私には無いからね(^^;






私たちの住む地域は、近くにあるのかなーそういう人対象のクラブ。。
お友達が普通にこなしてるのを見て、やりたくないってならないといいんだけど。それが心配です。
極度に失敗を怖がるので、どんどん自分の可能性を狭めてしまいやしないかと、母として心配。




やはり自信を無くさせないで安心して楽しめるようになってほしいです。




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苦手な事の未来

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※読みにくい文章になってしまった。
想いを書くことは出来ても、自分が書いた文章をすらすら読むことは出来ない自分(笑)
読みやすく直すにはあまりにも長くなったので、読みにくいけどこのまま掲載。



Y君を見てると、あー私と同じかも、とか、今きっとこんな感じなんだろうな、と思うことが多い。

検査の結果としても苦手な所が同じみたいだといわれたから、わたしが感じていたことはあながち間違ってはいないのかも。




とはいっても、どこまで同じでどこからは違うのかはわからない。


子供はこうやって伝えることが出来ないし。




ということで、あくまでも自分の経験や感じたことを書いていけたらと。







私は0歳の頃からの記憶が結構残ってる。
出来事よりは、光景や感情の記憶が多いけど。





Y君は、物事を理解するのに時間がかかります。

それはこの先少し出来るようになるのかもしれないけど、それでも、これが苦手だとどんなことに困ったりするのか。




理解するのに時間がかかるというのは、耳で言葉だけを聞いて内容を把握することが難しいということ。

なんとなく話してることは耳に入ってくるのだけど、
頭が働かないような感覚で、話についていけない。
集中してれば最初の方だけは聞けるかもしれないけど、そんな何でもないことに集中してれば疲れるのは早いわけで、途中からパッとわからなくなってしまったりする。

自分の感じたことが頭の中をめぐると、それだけで、聞いてたはずの内容が飛んでしまう事もある。
話の中で、わからない内容や単語が出てきた瞬間、そこで止まってしまい、その先の話についていけなくなる。

これがつまり、メモが取れないとかにも繋がる。
ひとつの事しかできないから、メモとろうとすればわからな漢字でひっかかって結局話もわからなくなるし、ノートをとるのに黒板に集中してれば授業内容は聞けない。
授業内容を聞いててもわからないところが出てきたり、それが多すぎると内容が一本の線に繋がらなくなってしまう。




特に社会なんかは、歴史だと一本の線に繋がってる内容になるけど、年号などの数字も出てくるし、よくわからない言葉に、苦手な人名まで出てきて、ちんぷんかんぷんになってしまう。

基本的に長い言葉や人名は、ハッキリとした違いを感じることが出来ない。


よくわかりやすく言われるのは、右と左の区別がつかないとか。


なんの支援無しに育った私が今どうしてるかというと、右と左は、[頭の中で、箸を持つ手、お茶碗を持つ手をイメージして]から何かに取り組む。
なれれば一瞬でイメージ出来るけど、とっさに言われたりすると焦ってイメージ出来ず、間違った方向に(笑)



話が理解出来てるかどうかというのも、長年の経験で知ってる単語だけは増えてくるので、話の流れと相手の口調、単語からイメージ出来るものから、相手の言いたい事を推測するような形で聞いてることになる。


ぱっとイメージ出来るものと出来ないものがある。
私の場合は、人の名前からその人物、近所から世界に渡る地名ほとんど、数字、その他お店の名前からなどいろいろ。

スーパーでいえば、サンワとマルエツは、私からしたら同じもので、[どっちでもいいよね]という感覚で居たし、スーパーに限らず自分にとって区別出来ず同じくくりで考えてたものは、実際そのような発言をよくしていた。
けど、普通の人からすると、全然違うんだと言うことを知ったのは、20代過ぎてから。


自分の感覚や認知に疑問を持たないから、周りの人も同じ感覚だと思っていた。



幼稚園に入ってまず、少しずつ気付いてくる。

あれ、みんなテキパキ動いてるな、遅れをとらないようにしなきゃ。

あれ、みんなすぐに何するかわかってるな、私何したらいいんだろ

あれ、みんな楽しそうにしているな、何が楽しいんだろう



なんとなく、少しずつ、自信を無くしたり不安になったり、必死になっていく過程。

とくに楽しそうにしているなってところは、自分が気づけてなかった間に、皆はそこに楽しさまで見つけ出してる。
「言われたことをする」事にいっぱいいっぱいな間に…。

これって、取り残され感結構出てくる。



Y君は今のところ、わかってなくても周りが楽しそうなら自分も楽しい!みたいな所があるけど、この先どう感じていくのだろうか。



支援の手があれば、わかりやすく説明してもらって、ちゃんとみんなと同じ土俵で楽しむ事が出来るのだろうか。




Y君の月齢だと、もうわりと数字を順番に唱えたり出来るとか、歌を一曲、ほぼ正確に歌える。

実際の発達具合を見ると、数字は好きだけど、どの数字がどれなのかという違いがイマイチ入ってこないのと、
歌は好きだけど印象に残った部分しか覚えていないので、細切れのをくっつけて歌ってる感じ。
長い言葉は、一言ずつ繰り返させれば言えるのに、一つの単語として繋げて言うと全くちがう言葉になる。
[いただきます→あばちゅ]


その感覚も、よくわかる。
何となく、しか覚えられない。
ただ単に聞き流してるのかと自分でも思って、怠け者なんだなと思ったこともあったけど、聞き流してるのではなく、聞き流れちゃう、みたいな(笑)


いずれ、もっとキャパが広がって、何度も聞けばある程度わかるようにはなるけど、
やっぱり能力には限界があって、そこから先はいつもうる覚えだから自信を持てない事が多い。


手遊びにリズム体操、リトミックには参加したがらないし、家で動画を見せても反応は薄い。

テレビを見てて、気分が乗れば合わせて体を動かして愉しそうにしてるけど。



同じように体を動かすっていうのは私も苦手で、「同じように」が出来ない。
どの体の部位を、どう動かせばいいのか?
相手の動きを見ながら学ぶということが出来ない。
目で見てる事と、自分を重ね合わせる事が出来ない。


そんな、よくわからないことを、何で皆は楽しそうにやってるんだろう。



みんなと感覚が違うからなんだけどね。

でも、見るという事は、「聞く」苦手を補うのに大切。



ラジオ体操で、体を大きく前に倒すような動きがあると思う。

この時点で、周りの人の動きを見る事も出来なくなる。
これは不安だ。カンニングの要領で周りの動きを見なきゃ。

これは例えのひとつだけど、

耳で理解できない事は自然と、周りの人の動きでなんとなく混じり、何となく予測をたてながら動く。



周りの人に質問したって、その答えで理解出来るとは限らない。



この孤独に日々向き合わなければならない生活は、それなりのストレスがかかると思う。



自分が経験し、少しずつ自分でも気づかないくらいの小さな不安を持つ毎日になったことや、自分に自信が持てなくなっていく過程を体感していたから、
同じ事にはさせたくないという思いが強い。




私の場合は、聞いても理解できなかった時点で聞くのを諦めた事
わからないことをわかるふりをしてごまかし続けてきた事
自信が持てず自分の気持ちを自分の中に閉じ込めた事

これが良くなかったと思う



こうなるかもしれない未来を予測して、
Y君も記憶の引き出し方が上手くないので喋るのも上手に言葉を操れないみたいだけど、とにかく気持ちを言葉して相手に伝える事とか、段階的に身に付けられるようにしながら考えている。







記憶の引き出し

文章の中で、一番最初に[僕]と書こうとして、漢字が思い出せず平仮名で書く。
二行目、なぜかスッと僕と漢字で書ける。
三行目、忘れてしまったので二行目に書いた字を見ながら書く、もしくはまた平仮名に戻る、
四行目、雰囲気だけ思い出せるのに、間違えて書いたり惜しいところまでしか書けない。






これは例えだけど、そんなことがしょっちゅうある。
これは小学生ならありがちかもしれないけど、私は今もコレなのだ。

ひらがな→ひらがナ
と書いてしまうこともしょっちゅう。




学生生活なんかだと、そういう間違えを笑われたりばかにされても、まぁわりと笑ってボケキャラで過ごせたりするけど、仕事となるとミスを避けるために過集中になって疲れが酷く出る。

それ以外の苦手もすべて背負っての仕事は
無理をすれば、精神的な病にも陥る。






これから療育を受けながら、人の助けと本人の努力で、どこまで私とは違う未来になるのかが、楽しみでもあり、………。





現段階で、
叫ぶだけではなくこれがイヤだと自分の気持ちが言えるようになってきた事や、こちらもちゃんと聞いてあげて無理強いせず受け止めてあげれるようになってきて、ちょっとY君落ち着いた気がする。


どんなことが嫌なのかも少しずつ理解出来始めてきた。
感覚過敏も。
そこまで酷くないので気付かなかったけど、手洗いやお風呂での[泡]も、あまり得意ではないようで。
イヤな気持ちより、遊びのような雰囲気で楽しい気持ちが優先れる、パパとのお風呂なら、大丈夫な時もあるみたい…?

障害云々に限らず、ちゃんと意志疎通コミュニケーション取りながら、声を聞いていきたい。。






 

見る力

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日頃から見るという力に困難を感じていて、Y君も同じ傾向が見られてる。

視力とは関係ない所で、見る力っていうのがLDでは弱さがあるんやけど、それをちょっとメモ。


共同眼球運動
(見るものに視線をすばやく正確に移動する能力)

 視線を物に向けるということは、情報を取り込み、それに対応するための第一歩。

 この機能に弱さがあると、本を読むときに大きな障害になって、行や文字を頻繁に飛ばして読む、内容が理解しにくいなどの症状がみられることがある。


難しいことはよくわかんないけど、見るにもいろいろな機能が使われてる。

共同眼球運動能力に弱さがあるときに見られる特徴
○書写・板書が苦手
○物を見つけられない
○読みが非常に遅い
○同じところを繰り返し読んだり、読み飛ばしたりする
○行を飛ばして読む
○文字の順番を間違えて読む
○球技が苦手


○印は私が昔から感じていたこと。
物が見つけられないっていうのは普段の買い物からも感じられてることで、パパをイラつかせてしまったこともあるし、外では信頼できる友達に変わって探してもらったりもしてる。


両眼視
(両眼のチームワーク、両眼の内よせ・外よせ)

まぁ、立体を感じたりとかいろいろなやつみたい(笑)

この機能に低下があると、疲れたときに物がダブって見える、一つに見るために多くのエネルギーを必要とするから頭痛や肩こり、子どもの場合だと自然に近くの作業を避けるということにつながる。


両眼視に弱さがあるときに見られる特徴

△ものがダブって見える
○目がすぐに疲れる
△見る作業を続けると頭痛が起こる
×片目をつぶってものを見る
△顔を斜めにしてものを見る
○すごく近くによってものを見る
○遠近感がとりづらい
○球技が苦手


△印は、そんなに頻繁にはない。
顔を斜めにして見るっていうのはわからないけど、ノートをかなり斜めにして字を書くのは昔から言われてた。
目が近いって言われてもいたんやけど、ノート書くときと読むとき相当近かったみたいで、気がつくと顔面つくんじゃないかくらい近づいてた(笑)

球技が苦手っていうのは遠近感が取りづらいっていうのと同じことで、ボールが近いのか遠いのかがわからない。
バドミントンとか得意な方でよくやってたけど、苦手な角度に入った時や、ネットを越えてるのか越えてないのかがわからず空振りするのはわかってた。。







調節
(見ているものにピントを合わせる能力)
 

調節に弱さがあるときに見られる特徴

△近くのものを見るとすぐに疲れる
○ものがボケて見える
△見る作業を続けると頭痛が起こる
○異常に眩しさを感じる
△顔を斜めにしてものを見る
○目をよくこする
○見る作業で集中力がすぐになくなる


見る作業を続けると頭痛がっていうのはわからないけど、イライラしてしまったり集中力がなくなるのはわかる。
眩しさは普段目が疲れたときによくあること。
上手くピントを合わせられずに見たいものがボケてしまうこともたまにある。
というか景色全体がボケてしまって、何も見てないみたいな状態になっちゃってる。



視知覚
(目から入った画像の分析)



脳は、見たいものだけに意識を向けて、見たいものや見なくてはいけない部分にだけ注意して、見なくていい背景を無視することができる。これらが視知覚という能力。


視知覚に弱さがあるときに見られる特徴

○数字、かな、漢字の習得が困難
○よく似た文字や図形を見間違える
○始まりや終わりがよく似ている単語を間違える
△鏡文字がみられる
○大きさ、量、場所など数学に必要な概念の理解が難しい
○小さな違いをみつけられない
○大まかに分類してしまう傾向がある


ここは、もう○というか◎かも。
問題として、例えば似た記号が出て、この中で違うものは?となったときはわりと見つけられる。
ウォーリーを探せとかも出来る方かも?
でも、それはよし見つけるぞーという気持ちの準備や集中力を集めることで出来るようになるって感じ。
日常生活のなかでとか、文章に紛れていたりとか、そういう時に、似たものを見間違えてしまうことが多々ある。


鏡文字とはちょっと違うけど、例えば「絡」とか、二つの文字がくっついてる漢字になると、各と糸を逆にして書いてしまう。
実際に書いて、自分で目にしたときにやっと間違えに気づけるんだけど、書いた字を確認せずにいるとそのまま(笑)

大きさ、量、場所、数字、単位は意味不明。
1ミリから10センチくらいまでなら、定規を頭にイメージすれば何となくで判断出来る。
けどそれ以上の数字は全くイメージがつかないので、距離やリットル、大きさとかの概念無いな…
場所も覚えられないから土地勘全く無くて、人との会話で場所の説明は出来ない。


大まかに分類するっていうのは、細かい違いが理解できないから、なんとなくで「これと一緒だろう」とざっくり分けて終わりにしてしまう。

例えば、サッカーとかのチーム、いろんなチームが場所別にあるけど、そういうのがどうしてもわからない。
ファンからしたら怒りをかう発言になりかねないので気を付けてるけど、別々の全く違うチームも全部同じに感じてる。

野球だってそう、なんとなくそんな名前のチームがある、っていうのはわかってるから話わかってる風にきいてるけど、実は相手の言ってる事半分も理解してない。



「つまりこんな感じでしょ?」っていうと、「全然違うから!」と怒られる事も多い。
適当な人間に見られるんだけど、適当とうよりわからないからなんだよね。


学習障害(LD)の本で、[怠けてるわけじゃない]みたいな雰囲気の名前の本があるはずなんなけど←
それ通り、怠けてるとか適当とかって態度に取られることはとても多い。

雰囲気でしか理解できてない事を、自分としてはわかった気でいるから、他の人に話したときに「え、ちがくね?」となることもまた…多すぎるくらい…



こうなると発言するのも怖くなるんだよね。


知らないところで、皆は私には見えてないものをしっかり見て共有してるんだなとか。
私には理解できてない事をたくさん、当たり前のように知ってるんだなって。


そりゃ悲しくなる。
自信は無くなるし、自分をせめたりもする。
何か問題が浮上すると、また自分が何かしちゃったのか?!とものすごく不安になる。




最後にこれ。


目と手の協応
(目と手のチームワーク)

 目から入った情報は、常に体を動かす機能と連携してて、特に目と手は学習やスポーツなんかで重要。
目と運動機能の連携がうまくいっていないことが、不器用さの原因になることがある。



これが、運動が上手く出来ない悩みに繋がる。
まっすぐ歩けないとか、二重飛びやドリブルが出来ないとか(笑)
体の動かしかたがわからない。

自然に学べない。








Y君は、ガラス越しの目の前に、うちの犬を抱えた人が立って手を降ってても、見つけられない。
私が、ほら、赤君にバイバイしてって指を指しながら言っても明後日の方向を見てる。
まずは指をさしてるってのに気づくように、顔の前に手を持っていってから見てほしい方向を指すよう気を付けなきゃいけない。


けど1度理解できれば、次の日同じ事をしたときにすぐに見ることは出来る。


遠くにあるものを指差して、言葉で伝えても、耳からの情報だけでは理解できないので目的のものを探すことは出来ない。

信号を、まだ見付けられたことがない。
絵とかで教え、赤信号青信号、上にあるんだよーって情報を染み込ませてからなら、もしかしたら見つけられるようになるかもしれないけど、
とっさに「あそこの信号赤だねー」って言われても視線は宙を浮くだけ。


0歳の時、シャボン玉を見つけられないのに気づいて居たけど、それがまさにこう言うことだった。



こういう見る力ってトレーニングすることが出来るらしい。

やり方とかは知らないけど。
でも、やっぱそういう苦手なことをするのには普通よりもエネルギーたくさん使うから、すごく疲れるしストレスにもなるんだよね。


Y君くらい若いときからやれば、もっと視野が広がるのかな。



こういうことを、いつか相談できる人と出会えるといい。

Y君まだ2歳だしなー(^o^;)

これから幼稚園や学校とかの連携が待ってるかもね(笑)


 

学習障害

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幼少の頃からずっと、どこか周りとは違うというのは感じていたけどそれが何かはわからないままだった。
どうやら私はバカならしい、ともわかっていたけど、漠然としたまま生きてきた。



働いても苦手な所にぶちあたるとどうにも理解が出来ず、結局場所を点々とすることになっていたし、もっと上を目指せと期待を持たれても無理だと断り続けたこともあった。

中途半端だな、何をやっても、と思っていた。




やっと気付いたのは学習障害の存在で、WAISというテストを受けた。
平均が100ならしいけど、私は全体検査IQが83。
中の下。
得意な所と不得意な所の差が激しくてバランスがとても悪く、普通の人の得意不得意を大きく越えた結果であると説明された。
このテストの点数だけではわからない事は多いけど。


得意と不得意を足せば普通になる、とはいかないらしく、私のバランスだと日常生活でも困難が生じてしまうということだ。


周りの人に苦手な所を話してあらかじめ理解してもらい協力や分担を頼まないといけないと言われる。





学習障害は、読む、書く、計算する、などのどれかが出来ないのけど、私はどれも不得意、特に計算とかは、手を使わないと足し算も出来やしない。
理解能力も低く少しでも複雑だとぱっぱらぱー。


学校じゃなきゃ問題なく生活出来るのであればいいのだけど、残念ながら生きてるだけで周りは学習に関するものばっかりで溢れてる。


文章は、飛ばし読み、途中から所々読んでだんだん始めに戻って読む、読んでるつもりで内容が理解していない、一行を繰り返しよんでもわからない、とかがある。

書くのは、ただ文章を書くことはわりと得意と感じているけど、
字は雰囲気で書いてるのでカタカナと平仮名が混ざる、存在しない漢字を書く、一行前は書けた漢字が次には書けないでひらがなで書くとかその逆もある。
書いてみないと似てる漢字はどっちかわからない(牛と午とか)

英単語は見た目で覚えてるので、歯抜け解答をする。文法はもちろん全くわからん。




数字は存在そのものがあやふや。
数を数えるとかはわかるけど、何キロとか、何メートルとか、およその漠然としたサイズすらどれほどのものか理解できてない。




また、二つの事を同時にすることが出来なくて、聞きながら書く事とかも出来ない。
ノートやメモを取ってると、書くことにいっぱいになったり字がわからないところになると話はまったくわからないまま進んでしまって。

だから基本的には学校の授業は、聞けばノートが書けず、書けば授業は聞いてない状態だった。


国語で一人一人段落毎に読む時になると、皆が読んでる場所を指で一生懸命追わないと見失って自分の時に「聞いてませんでした」「わかりません」となるばかり。


一生懸命指でおっていてもだいたい見失って、そうなると今誰かが読んでる所を見つけ出せず焦った。
知らぬ間に皆が違うページに進んでいるのもよくある話。


私の頭的に難しい事は、どんなにかみ砕いて丁寧に何度も教えてもらっても理解不能。

理解出来ないと、何でわかんないの!と怒られることもあるし、逆に「これくらいわかるでしょ?」と教えても貰えないことも多い。




ピアノは4歳くらいから10年近く習っていたし、学校では伴奏もよくしていた。
でも、私は楽譜が読めなかった。
楽譜が読めてないと自分でも気付かなかった(笑)
子供の頃は音符に色をぬっていたからわかったけど、小学校高学年で色を塗るのは止めなさいと先生に言われてから、途端にわけわかんない事になっていった。

中学の吹奏楽部でもそう、綺麗な音を出す事は可能でも、初見で合奏になれば音一つすら出せずお地蔵さま状態で居心地が悪かった。


リズムのみならわかるみたいだから、和太鼓とか、マーチングでベースになったのはよかったみたい。


楽譜が読めないのに伴奏とかが出来たのは、一つ一つの音をドから数えて読みながら、何度も練習し、手と体が場所で覚えてくれたからだった。
楽譜がなくてもどこでもいつでも弾くことが出来た。


体感しないと出来ないってことで、上京してからギター習ったけど、コードは覚える努力しても覚えられない。
曲毎に場所で覚える事しか出来ないから、次の曲で同じコードが出てきても私にとっては<初めて見るコード(記号)>か<みたことあるコード>に見えた。



先生に、場所で覚えてるでしょ!と言われてその時初めて自分でも、場所で覚えてるのかぁとわかったくらい、自分の事がわかっていなかった。


学校では不真面目で通すか、テスト勉強は一時的な丸暗記法でやっていたから、頭のなかにはなんにも入ってない。
空っぽなのが不安で仕方がなかった。

太陽がどちらから昇るか?わからない。
右と左?いちいち頭のなかで箸を持つ手を想像しないとわからない。


検査のレポートにも、『日常生活を送る上での理解や知識はあるものの、学校で学ぶような事柄についての知識や理解は劣る。言葉で考えたり、算数の問題を行ったり、学校で習うような知識を見る言語性検査よりは実際に何か作業を行ったり、絵を見て答えていくという動作性検査の方が得意』
とありました。

『単純作業を行う能力は優れているのに対して、少し複雑になったり難しくなったりするとわからなくなってしまうことが起きるようです。』

その通りで、効率を考えながらひたすら何かをすることは出来るんですが、問題の応用は出来ないし、仕事で言えばすみだしするとか納品するとか、そういうのわけわかめ( ̄▽ ̄;)

その場の対応をしながら進めていくことも出来る。



書類とか、どこに何を書けばいいのか、内容、名前を書くのすらドキドキしながら目の前の紙をじっくり見て確認しなければわからない。


人の話を聞けば、わからない所があったらその先は真っ白だし、土地柄の内容も全く。


他にも、頭の中で考え事しててもどんどん消えていくので永遠と同じことを考えてしまっていたり、視覚過敏で見るのが眩しく苦手だったり、3D?のように奥行き感が変に見えてチカチカしたり…


家では、買い物も、書類書きも、金銭管理もみんな旦那がやってくれる。

一人での買い物なら、店にある全ての棚を全部見て時間をかける。


上に書いてあるじゃんって、友達に言われたけど、
文字を見ても、自分の欲しいものがどの部類に入るのか当てはめたりするのが出来ない。

見て、内容を理解して、自分の欲してるものが当てはまるところを探して、という頭の使う作業よりは、実際に足で出向いて現物見て探す方が疲れない。



文章でこう書けばどれだけでも語れるものの、実際に言葉に気持ちを変換するのが難しいので全く何も話せない。

話していて、意味の間違った言葉を使ってないか、そういうのも、なんとなく雰囲気でしか生きられなかったので自信を持って話せなかったりしてね。




生活する上でブログも日記も手帳も育児記録も細かく書くのは、常に思い出せる所に記憶を置いておく為。
自分のなかでこれはまだ必要な情報かも知れないと思っていれば、しばらくは、少しだけ人との会話で円滑に内容を進めることが出来る。



なにもしてなかった時、何も理解出来てなかった時はたぶん、雰囲気でしか話せない私を「適当なヤツ」と思われてただろうなって。



23歳に結婚してから働いていなかった。

今は自分の特色がわかってきてるから、子育てが終わる頃になったら仕事内容を選んで働くことになるかもしれない。

伝票整理も会計も納品もすみ出しもない、単純作業?清掃の仕事とか?
悲しいけれど…。



今は、バンドをまた始めたけど。
歌いながら自分の音をきこうとすればその代わり別の何かを捨てる事になる。

歌詞を聞けばメロが聞こえなくなるように。

感情を入れようとすれば目を閉じなければいけないように。

ライブで会場の人を見ながら、次は何を言おうかななんて別の事を一瞬でも考えたら、水の中に入ったかのように音が聴こえなくなる。
音が聴こえなければ、音痴な歌しか歌えない。


そんな危うい私だけど、やっぱり音楽はやってみようと思った。
今ならうまくやっていけるんじゃないかと思った。





苦手なことは疲れるので周りに理解してもらい分担し、得意なことをしてくださいとは言われた。


どこまで話すか、なんて話すか、どこまで理解を求めるか、
結構悩んだけど、まずは自分が受け止めて、出来ない事は、出来ないって言える勇気を持つ事から。
なんてね。


もっと若いうちに判明していれば何か変わったのかな、なんて考えない。




最近は、大変だけど、自分の足で生きてるなって思う。
不安で自信の無かった誤魔化しと嘘だらけの自分では、もう無いはず。
 

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